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大阪大学外国語学部ペルシア語専攻 平成29年 イラン研修旅行 体験記

大阪大学でペルシャ語を勉強している学生さんたちの生き生きとしたイランレポートです

Titel:大阪大学外国語学部ペルシア語専攻

平成29年 イラン研修旅行 体験記

Subtitle: 大阪大学でペルシャ語を勉強している学生さんたちの生き生きとしたイランレポートです

(Photo 1)

 

  • エスファハン散歩と携帯購入 外山紗良

異国で公共交通機関を利用するのはやはり難しい。エスファハン市内の主な交通手段はバスだが、初日はとても苦労した。使い方が分からず、四苦八苦。諦めて、散歩することにした。ジョルファー地区からシヨセ橋を通って、イマーム広場までぶらぶらと歩いて行く。どの店も昼休憩のため閉まっていたが、すれ違う人々が次々と声をかけてくれて、飽きることがなかった。みな日本に興味津々で、私たちが日本人だと分かるやいなや質問攻めにされた。ザーヤンデ川の川沿いやイマーム広場でもたくさん声をかけてくれて、イラン人の心の温かさを身に染みて感じることができた。

次の日は、ホナル市場に行った。通りかかった本屋さんで大量のDVDを発見。ディズニーなど、有名な映画のDVDがたくさんあり、驚いた。海賊版かもしれないとは思いつつ、何枚か購入してしまった。

イランに到着して3日目。現地での連絡用に、携帯を買うことにした。タクシーに乗り、電化製品店の立ち並ぶフィルドゥシー通りへ。ある店では、携帯端末本体を買うとSIMカードが無料でもらえるというキャンペーンを開催していた。迷わずこの店で買うことに決定。しかし、本体を買って申請しに行くと、「君らにはSIMカードは渡せない」と言われ、トラブルに。大論争が巻き起こるも、結局SIMカードはもらえなかった。別の携帯ショップでやっとの思いでSIMカードを購入し、事なきを得た。疲れがどっと押し寄せた。

イランに来て3日目ということもあり、「口語」に全く慣れていなかった。ペルシア語がほとんど伝わらず、聞き取れないという大ピンチに直面し、携帯とSIMカードを買うのにとてつもなく苦労した。しかし、携帯を買うという経験を通して、図らずも会話力が飛躍的に向上した。

  • 語学研修の授業 濱口朱里

今回の留学の3週間のうち、最初の2週間は語学学校でのペルシア語研修であった。エスファハン大学の中にある語学学校は、私たちの泊まっている寮から20分ほど歩いたところにある。小高い丘の上にあり、見晴らしは最高だ。わたしは、登下校の道すがら、エスファハンの街並みを眺めるのが好きだった。エスファハンの青い空は、地上に近づくほど灰色にくすんでいく。エスファハンの大気を目で感じることが出来た。授業は午前中だけだったので、午後は毎日おしゃれなチャドルを纏って街中へ繰り出して行った。

 毎日大変な課題が出た。「一人5分で自己紹介をしなさい」「日本の昔話をペルシア語に訳して説明しなさい」「反対語を使って作文してきなさい」といったさまざまな課題が日々私たちの目の前に積まれた。しかし、自由な午後の誘惑に勝てるはずもない。毎日、日が暮れるまで遊んだ。そして、へとへとの体で深夜せっせと宿題に取り組むのが常であった。あのときは早く寝たいとか辛いとかいう気持ちで一杯だったが、今思えばそれもまた良い思い出だ。途中で眠気に負けて、早朝にやろうと思って5時とかに大音量のアラームを設定し、同じ寮のみんなを早起きの巻き添えにしたことだって良い思い出!楽しかったな、と今旅行記を書きながら心が和む。先生も、学校で出会った日本人の先輩も、みんなほんとに良い人ばかりだったし、わたしたちが触れたイランは最高の国だった。またエスファハンを訪れることがあれば、あの丘の上にある校舎に立ち寄って、お世話になった先生や先輩と給湯室でチャイを飲もう。そのときは、ペルシア語を褒めてもらえるといいなあ(^_^)/~

  • 絨毯から学んだイラン 米本敬佑

 ペルシアと言えば、猫と絨毯が有名であろう。今回の旅で我々はそのうちの一つである絨毯に触れる機会が非常に多かった。ほぼ全員が絨毯を買い、私に関しては2枚も買ってしまった。

 エスファハンのイマーム広場に初めて足を運んだ時、右も左もわからない我々に声をかけてくれたのは一人の絨毯屋の主人であった。ペルシア語や英語で話しかけるならまだしも、いきなり比較的流暢な日本語で話すものだから、我々も思わず彼についていった。所狭しと積み上げられた絨毯に座るよう勧められて、そのまま出されたチャイをいただいた。互いのことを話すうちに会話も盛り上がり、自然と向こうのセールストークが始まった。絨毯の形や毛の種類、柄の意味や生産地など様々なことを教えてくれた。そして私はこの店で1枚の絨毯を購入した。

 さて、店を出たのち次に入った店もなんと絨毯屋であった。その日はさすがに絨毯を買うことはなかったが、私は店のお兄さんと仲良くなり、滞在期間の2週間のうち9日くらいはそこに行った。絨毯のみならず、日本のこと、イランのこと、世間話に単語クイズなど本当にいろいろな話をした。もちろん彼が接客中の時はその姿を見ていた。フランス人や中国人など、観光地ゆえに客の国籍は様々であった。彼は職業柄、非常に多くの言語を知っていた。イラン人とスペイン語で会話し、ポーランド語の発音を教えることになるとは自分でも予想していなかった。

 絨毯屋に行くだけで様々な体験ができた。日本では決して味わうことのできない刺激的な経験となった。絨毯とチャイを通じて、イラン人のおもてなし精神を学んだ2週間であった。

  • チェヘルソトゥーン 樋口莉央

 語学研修の期間中は、語学学校の先生に連れられ、みんなで様々なエスファハンの観光名所を訪れました。その一つが、「チェヘルソトゥーン」という宮殿です。この宮殿は、サファヴィー朝のアッバース2世の時代に建てられました。「チェヘル」は40、「ソトゥーン」は柱という意味です。しかし、建物には柱が20本しかありません。では、なぜ「チェヘル」なのでしょうか?その秘訣は、宮殿の前にあるプールです。プールの水面に20本の柱が反射するため、正面から見ると40本の柱が存在するように見えるのです(私が訪れたときはプールに水が張られておらず、柱は20本にしか見えませんでしたが笑)。宮殿の玄関には、「さすがイスラム建築!」と思わせる精密な模様があしらわれていました。宮殿の中に足を踏み入れると、極彩色の壮大な絵が壁に描かれているのが目に飛び込んできました。オスマン帝国とサファヴィー朝が争ったチャルディラーンの戦いを描いた絵です。迫力満点で、見ているだけで絵の中に引きずり込まれるような気がしました。庭園も自然豊かで、歩いていてとても心地よかったです。チェヘルソトゥーンの見学を通じて、イランの歴史・文化を肌で感じることができました。

  • ソッフェ山に登ったときの話 濱元怜奈

ある日、語学学校の先生方も一緒に、みんなでハンマームとズールハーネを見学に行きました。ハンマームとは、伝統的な公衆浴場のことです。他にもっと書くべきことがあるのでしょうが、わたしがそこで一番印象に残ったのは、給湯用の「蛇口」でした(次ページの画像参照)。サークルの友達に激似だったのです。比較画像を作ったりして、ひとりで笑っていました。その蛇口はとてもユニークな形をしていて、地球の歩き方にも掲載されていました。その後、伝統的な武道場である、ズールハーネに行きました。重りを振り回して腰の筋肉を鍛えるらしいです。みんな重りを持って写真を撮ろうとしましたが実は気軽に触ってはいけないものらしく、何度かチャレンジしましたが施設の人に注意されました…(笑)。帰りのバスではみんな寝ていて、午後3時頃に寮に着きました。

その後友達の一人と一緒に、大学の近くにそびえ立つソッフェ山に登りました。大きな岩山で、初めてエスファハン大学に来た時からずっと気になっていたのです。まず、寮の近くの商店に行き、ふもとまでの道を尋ねました。すると、親切にも、ふもとまで車で送ってくれることになりました。ラッキー。到着するとまず、イラン人女子高生集団につかまって、写真を撮られまくりました。あとテンションが高すぎてかなり戸惑いました。最初はノリに全然ついていけなくて、留学が少し不安になりました(笑)。あと、「あなたの肌きれいね、どんなクリーム使ってるの?」って何回も聞かれました。イラン人は美人が多いですが気候のせいか肌荒れしやすいのかな?と思いました。名前を聞かれたので教えると、「あなたの名前の山(レナ山)はイランで2番目に大きな山よ」と、ちょっとした雑学を教えてくれました。そのあと女子高生に混ざってロープウェイにタダで乗せてもらいました。ラッキー。ロープウェイを降りて、いよいよ本格的な登山が始まります。おじさん二人組にここから頂上まで何分かかる?と尋ねると、「ブルースリーなら10分で登れるよ!」と素っ頓狂な答えが返ってきました。いや、私ブルースリーじゃないし…(笑)。困惑していると、おじさんがチェリーの紅茶を振舞ってくれました。これは、イランで飲んだ紅茶の中で一番と言っていいほどおいしかったです。

頂上までの道のりは素人二人が手探りで進んだので険しく、気持ち的には何度も死にかけました…。しかし苦労して登った頂上からの眺めは本っ当に最高でした。これは実際に登らないと分からないと思うのでぜひ登ってみてください。帰りは親切な家族に出会えて、安全な道を通って帰ることができました。頂上で写真も沢山とってもらえてこれまたラッキーでした。下山後、その家族に紅茶やナツメヤシ、りんごをもらって一旦休憩しました。家族とも別れ、二人で帰り道を歩いていると、通りがかりのカップルに車から声をかけられ、なんと寮の近くまで送ってもらいました。

こんな感じで、予備知識が全くないまま軽い気持ちで決めた登山でしたが(今考えたらよく登ったなって思います)、たくさんのイラン人の優しさに触れることができて、とってもいい思い出になりました!イランで登山、おすすめです(*^-^*)次イランに行ったときはまた絶対登ろうと思っています。

イランの女子高生たちと→

ハンマームの蛇口↓

     山頂にて→

  • ゾロアスター教の聖地を巡って 久保友里恵

 今回のイラン旅行で私が一番心に残ったのはヤズドのゾロアスター教の聖地を巡ったことでした。元々、イラン固有の宗教であるゾロアスター教に興味があったので、「世界史の教科書にも載っていた沈黙の塔に行ける!」と、楽しみにしていました。

最初に訪れたチャキチャキという聖地では、まず、断崖絶壁に寄り添うように立っている建物群に圧倒されました。頂上の洞窟まで登るのも簡単ではなく、汗だくになりました。洞窟では、天井から不思議に染み出してくる水滴を見ることができました。水滴の落ちる音が「チャキ、チャキ」と聞こえることが、この遺跡の名の由来だそうです。チャキチャキの洞窟の中では、大きな木が太い根を張っています。この木は、戦から逃れてチャキチャキにやって来た王女様の成れの果てだとの伝説があります。何とも言えない神秘的な空間で、現実世界から隔離されているようでした。一年に一度ゾロアスター教徒がこの地に集まると聞いたので、その様子もいつか見学してみたいなと思いました。

翌日は一番の楽しみであった沈黙の塔に登りました。当日は日差しが強く、サングラスが欠かせませんでした。これまで経験したことが無いくらいに暑く、一歩足を運ぶ度に汗が噴き出てくるようでした。やっとの思いで、沈黙の塔の真下にたどり着きました。教科書の写真と同じアングルで沈黙の塔を見た時の感動は、今でも忘れられません。「自分は今本当にイランにいて、沈黙の塔を見上げているのだなあ」と実感し、涙ぐんでしまいました。頂上には、遺体を安置する大きい窪みがありました。昔は、ここで実際に鳥葬を行っていたそうです。頂上からの眺めはとても綺麗で、気持ちのいいものでした。すぐそばまでヤズドの町が迫ってきているのには驚きました。バスに戻ると、オランダのテレビ局の取材班と遭遇しました。取材を受けていたのは、黒い衣装に身を包んだ怪しげなご老公。何を隠そう、この方は、沈黙の塔に親族の遺体を安置した最後の男性だとのこと。お年を召されていたので会話はあまりできませんでしたが、たいへん気さくな方で、写真を一緒に撮ってくださいました。忘れられない思い出になりました。

ゾロアスター教の聖地を巡ったことにより、もっとゾロアスター教のことを勉強したくなったし、イランの歴史の原点を垣間見た気がしました。阪野さん、素敵な旅を本当にありがとうございました。

  • 隊商宿の、星降る夜 立元亮祐

エスファハンでのペルシア語研修を終えたあと、1週間かけてヤズド、シーラーズ、テヘランを観光しました。ヤズドを後にした日の夜は、ヤズドの近くのゼイナッディンというところにあるキャラバンサライ(隊商宿)に宿泊しました。

その宿はレンガ造りで、見た目はまるで堅固な城塞のようでした。とても宿泊できる場所とは思えませんでしたが、中に入ってみると考えが変わりました。綺麗に整備されており、天井は吹き抜けのようになっていて清潔感のある宿でした。平原の真ん中にたたずむこの宿の二階からは、夕日に染め上げられたイランの大地を一望することができました。日が完全に沈んでしまうと、今度は満天の星空が私たちを迎えてくれました。

宿には、私たちのほかに、海外からの観光客が多く宿泊していました。私たちは、とあるブラジル人のカップルと語り合い、仲良くなりました。ペルシア語や日本語を教えたりして、大いに盛り上がりました。一階にはステージがあり、そこで宿のオーナーさんたちが、バルーチ族の伝統的な踊りを披露してくれました。この踊りは大変迫力があり、見ていて胸が高鳴りました。

踊りを楽しんだ後は、バイキングのディナーを堪能しました。新鮮な肉・魚・野菜などがふんだんに使われており、美味しくてつい食べ過ぎてしまいました。夕食後は、星を見上げながら友と語り合いました。こんなに楽しい夜は人生で初めてでした。この隊商宿での一夜は、イラン研修の中で一番の、かけがえのない思い出です。

  • ペルセポリスの感動 永瀬文音

私が今回のイラン研修・旅行で一番楽しみしていたのが「ペルセポリス」でした。高校時代、世界史の資料集に載っていたペルセポリスの壮大さに惹かれ、一度自分の目で見てみたいと思ったことが、ペルシア語専攻を志すきっかけになったからです。

 入場口から階段を上ると、まず目に入ってくるのはクセルクセス門です。左右両方の門扉に、人面牡牛像や楔形文字が精緻に彫り込まれています。一体、約2500年前にどうやってこんな立派な門を建てたのか・・・と考えずにはいられませんでした。

 また、アケメネス朝ペルシアが巨大帝国として栄えていたことが、レリーフからリアルに伝わってきました。レリーフには、王に贈り物を献上する周辺地域の様々な民族が描かれています。民族の衣装、従える動物、贈り物などがそれぞれしっかりと描き分けられていて、とても印象的でした。

 そして丘の上から見るペルセポリスの全景は、まさに高校生だった私がずっと写真で眺めていた景色でした。日本に帰ってきてから数か月経ちますが、今でも、青空の下に広がるペルセポリスの景色を自分で実際に見ることができた感動は忘れられません。

「イランにはとても長い歴史があるんだよ」。イラン人は口を揃えてそう語り、みな誇らしげでした。きっと、ペルセポリスやナクシェロスタム、パサルガダエなど、各地に数多くの荘厳な史跡が残っているからなのでしょう。イランを訪れる機会があれば、また必ずペルセポリスを見に行きたいと思っています。

  • テヘランでの二日間 田原大輝

シーラーズから飛行機に乗りメヘラバード空港へと降り立った。ここはイランの首都、テヘラン。この街は今まで訪れたイランの街の中で、最も人口や交通量が多く、空気が汚れていた。首都ということもあり、建物や街全体の雰囲気としてはどこか他の国にもあるような、無機質で味気が無いように感じた。まあ一国の首都とは概してそのようなものなのかもしれないが。

イラン旅行の大部分を一緒に行動していただき大変お世話になったガイドの坂野さんとバスの運転手さんとはシーラーズでお別れをしていたので、ここで新しいガイドのアリーさんと合流した。アリーさんは少しカタコトで日本語を話すイラン人であった。なんでも昔に日本で働いていたことがあるので日本語が喋れるのだとか。印象としては陽気なおじさんといった感じ。

すでに夕方になっていたのでそのままホテルへと連れて行ってもらった。このホテル、面白い形のシャワールームが付いていてちょっと楽しかった。イランで寝るのもこれが最後か、と思うと長かったような短かったような。とか考えながらも、やはり名残惜しいのか、気がつくと夜遅くまで喋っていた。

翌朝、寝不足で迎えたイラン最終日。まず向かった先はバザールだった。テヘランのバザールはとにかく人が多かった。エスファハンやシーラーズのバザールも人は多かったが、ここは特に。お土産を探したもののあまり目ぼしいものが無かったので、果物100%ジュースを飲んだり、ケバブバーガーを食べたりした。このジュースは本当に美味しかった。また飲みたい。

バザールの後はゴレスターン宮殿に向かった。ゴレスターン宮殿は19世紀のカージャール朝の王宮だ。なんでも富士山と同じ年に世界遺産に認定されたらしい。歴史的価値が認められるまでずいぶん時間がかかったのだなと思った。別名、鏡の宮殿とも呼ばれているこの建物、本当に豪華絢爛だった。きらびやかな内装に圧倒される。古美術品や絵画なども展示されており、イラン芸術の美しさ、歴史の古さを感じることができた。アリーさんの解説も面白かった。

ここでイランの文化を感じた後、テヘラン平和博物館へと向かった。その建物は公園の中を少し歩いていくとある。博物館の中に入ると、さっそくイランにおける日本人の権威である山村氏との再会を果たした。いや待って、再開、と言うからには一度会った事があるのか、と思われるであろう。その通り。山村氏と初めて会ったのはエスファハン大学で学習していた時のこと。山村氏には、我々の教室まで来て、お話をして頂き、その後、一緒にテヘラン観光に来て頂いたりした。長年イランでご活躍されていらっしゃる日本人としての貴重なお話を聞くことが出来た。このテヘラン平和博物館では、そんな記憶を思い返しながら、山村氏や他の職員の方々に、主に化学兵器の人間や環境に対する影響を説明をして頂いた。平和の大事さを改めて思い知った。

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その後お昼を博物館で頂き、イラン国立博物館へと向かった。館内に鞄を持ち込んではいけないと言われて入り口で鞄を預けることになった。警備が厳重だなという印象。建物自体はそんなに大きくなく、数時間で全部の展示物を見終えられるくらいであった。中に入ると展示物は時代ごとに整理されてあり分かりやすかった。実際にペルセポリスから発掘された物などもあった。全体を通して見応えのある博物館であった。本当はもっとゆっくり見たかったのだが、残り時間の少なくなっていたため早々にここは後にした

その後、革命広場の「自由の塔」で記念撮影をしてアリーさんとはお別れをした。その後、エマーム・ホメイニー空港へ。イランリヤルが大量に余ってしまっていたので大量のお菓子をお土産として買い込み、ドバイ行きの飛行機に乗り込んだ。こうして3週間に及ぶイラン旅行は幕を閉じた。ありがとうイラン。

  • イランのホテル宿泊記 島津梨穂

一週間の旅行で、私たちは各地で様々なホテルに泊まりました。そのほとんどが一泊だけだったので、ホテルだけでもたくさんの思い出があります。新しいホテルにつく度に、今回のホテルはどんな感じかなぁとワクワクしていたのを思い出します。

最初に泊まったヤズドのホテルは、地下に広がっているような、別空間に来たかのようなホテルでした。そしてこのホテルはジャーメ・モスクから歩いて行ける距離にあり、きれいにライトアップされたジャーメ・モスクを見ることができました。ジャーメ・モスクは夜が特に美しいので、夜に行くことができたのは本当に良かったと思います。

次の宿はホテルというよりも、隊商宿のようなところでした。周りには何の建物もなく、Wi-Fiもなく、世界から切り離されてしまったかのように感じる空間でした。多少不便な点もありましたが、ここは大好きな宿です!清潔感はあったし、あんな貴重な体験はめったにできないと思います。個人的にはまた行きたいと思えるくらい、おすすめです!

シーラーズ最初のホテルは、ペルセポリスのすぐ近くにあるホテルでした。ここに着いたとき、すぐ近くにペルセポリスがあるんだ!とテンションが上がりました。世界遺産の近くにあるせいなのか、ホテルが全体的に豪華な雰囲気でした。

次のホテルはシーラーズの中心部にあって、自分たちで歩いて出掛けることが出来たのが便利でした。バザールや公園など、ガイドの坂野さんに教えていただき、自分たちなりに観光を楽しめました。そして、私たちが日本人だからといって、日本の国旗をイメージした美味しいケーキをプレゼントしてくれたのも嬉しかったです。

テヘランはこれまでのホテルに比べると小さいところでしたが、清潔感があり、とても過ごしやすかったです。

私がイランのホテルで好きだったのは、朝食です。朝ご飯は大体どこも同じようなメニューなのですが、その中でももちろん違いはあります。特にナンは地方によってそれぞれに特徴があり、場所によってその違いを味わうことが出来ました。そのどれもが美味しかったです。ホテルの朝食からもイランの食文化を知ることが出来ました。

このような楽しい観光と快適なホテルを私たちに用意してくださった旅行各社の方に感謝しています。特に、私たちと一緒に旅をしてくださった運転手さんとガイドの坂野さんには感謝の気持ちしかありません!本当に楽しくて忘れられない思い出になりました。ありがとうございました。

  • イランのトイレ事情 田中碧生

 私のイラン滞在は「トイレ」にはじまり、「トイレ」に終わったといっても過言ではないかもしれない。遥か中東にまで赴いてまでトイレの話をするというのは変な気もするが、それほど私にとってペルシア式トイレは良い意味でも悪い意味でも衝撃の連続だったのだ。旅行のガイドブックを見ると、その国の風土、食事、ホテル、治安などは細かく記載されているが、トイレについてのページを見かけることは少ないように思う。しかし、トイレ、突き詰めれば排泄という行動は、国ごとの特徴が現れる立派な文化の一つだと思う。それ故この体験記は、これからイランを訪れる日本人のために、あくまで「トイレ」に関する情報の一助となれば幸いだ。

 2017年2月17日、私たちはイランに降り立った。緊張が一気にほぐれたからか、急な便意に襲われた。ここで私は、かのペルシア式トイレと初めて出会うこととなる。そして、その出会いはあまりいいものではなかった。綺麗好きの日本人からすると、誰しも感じると思うのだが、空港にも関わらず、とにかく汚かった。そして臭いもひどかった。しかし、ここで用を足しておかなければ、これからはバス移動になる。仕方なく個室に入った私は、早速過ちをおかした。紙をスーツケースに入れたままだったのだ。並んでいる人もいるので、取りに戻るのも億劫に感じていた私に、ウワサには聞いていた例のアレが目に入った。そう、ペルシア式トイレ名物・ホースである。使い方も何もわからなかったが、使う以外に打開策のない私は満を持してホースデビューを飾った。結論から言うと、下着もズボンもびしょ濡れで、使わない方が良かったかもと思える悲惨な結果になった。ここでイランに行く予定の人に言っておきたい。ホースは慣れである。初めはみんなこうなると思う。しかし、慣れてしまえば日本のウォシュレットとは違う爽快さが味わえることだろう。この出来事は私に今まで感じたことのないカルチャーショックを与え、同時にペルシア式トイレに惹かれた瞬間でもあった。

 2月19日、エスファハンでの授業2日目。次なる試練が待ち受けていた。それは、トイレの鍵である。これはペルシア式トイレにはじまった話ではないかもしれないが、イランのトイレは一部、内からの外からも鍵がかかる仕組みのものが存在する。しかもドアノブをひねるだけで施錠されてしまうのだ。これが悲劇を招いた。学校のトイレは個室がひとつしかなかった。そこで、用を足していると一緒に来ていた大学の友人も入ってきた。もちろん日本のように使用中の赤いマークがでたりするわけでもないので、ドアノブをひねって確かめるしかない。そうドアノブを外からひねって確かめるしかないのだ。人がいるとわかった友人はトイレを後にした。悲劇のはじまりである。事が済んで、トイレを出ようとしたその時。ドアが開かない。鍵は外したはずなのに、なぜだかドアが開かないのだ。しばらく奮闘してから、私は察した。あの友人の仕業であると。しかし、彼もペルシア式トイレについては初心者なので、非があるのはこんな設計のトイレを作ったイラン人である。だが、トイレに内から閉じ込められた現実は変わらない。上や下の隙間から出ようか考えたが、先ほど述べたように大学だろうが日本のトイレより格段に汚い。そんなことをする勇気は到底起きなかった。苦肉の策で、私は助けを呼ぶことにした。ここは異国の地イランである。あわよくば友人が気づいてくれればと、日本語で叫んだ。効果はなかった。続いて、「Help me!」ダメだった。ここまでくるともうペルシア語しかない。2年間学んだペルシア語の初お披露目の場がトイレになるとは思ってもみなかった。だがやるしかない。「کمک کنید!」知っているペルシア語を使って必死に叫んだ。すると助けを聞いてか、イラン人の業務員さんが助けに来てくれた。とても怪訝な顔をされたが、本当にほっとした瞬間だった。それと同時にこういう事態に陥った人が前にもいたりしなかったのだろうかと考えたが、あのイラン人の顔を見るに、おそらく前例はなかったみたいだった。晴れてエスファハン大学でトイレに閉じ込められた日本人第1号になることができた。そして、ペルシア語を勉強していて良かったと心から思った。ここで私が叫んだペルシア語「کمک کنید」(読みは「コマクコニード」)。これはトイレに閉じ込められた時用に覚えていてもいいかもしれない。

 ホース問題や鍵事件以外にもイランのトイレに関する珍事件はいくつもあった。例えば、地域によって水流が弱いところがある。これはつまり、汚い話だがちゃんと流れないのである。こうなってしまったら、心の中で謝ってその場を去るしかない。そのほかに面白い出来事として、テヘランのゴレスターン宮殿になぜか便器が落ちていたのだ。正体不明の洋式便器が3つ宮殿内に落ちていた。本当に圧巻だった。ゴレスターン宮殿が綺麗なので、便器まで綺麗に見えてきて、思わず写真に収めてしまった。滞在の終盤まで、イランのトイレは期待を裏切らなかった。本当に私にとってのイラン滞在は、トイレなしでは語ることができない、トイレ尽くしの3週間であった。

 今回のイラン滞在は3週間と短かったが、とても内容の濃い3週間だった。今までで最も心細くて恥ずかしい思いもして、もちろん親切なイラン人との触れ合いも楽しんだ。当初の目標だったペルシア語能力の向上やイランの文化を肌で感じ、自分でもその成長を感じることができた。人生において本当に良い経験になったことは間違いない。また、イラン滞在のもう一つの醍醐味は名所を巡るイラン旅行であった。1週間の私たちの旅行プランを考えてくださり、ホテルや食事まですべて手配してくださった阪野さんには本当に感謝の言葉しかない。そして、私たちのイラン滞在に尽力してくださったすべての人への感謝の意を忘れず、イランでの経験を決して無駄にせず、今後の人生に役立てて行きたい。

阪野さんへ

私たちのイラン滞在の全面的な支援の程、本当に有り難うございました。私にとってかけがえのない思い出になりました。この経験は決して忘れません。また遅くなりましたが私の感じたイランを体験記風に書かせていただきました。少しでも阪野さんのお役に立てることを願っています。そして、これからもイランを訪れる日本の方に素敵なイラン滞在の思い出を届けてください。

最後に、阪野さんの益々のご健勝と、貴社の更なるご発展を心よりお祈り申し上げます。

           ゴレスターン宮殿に「落ちていた」トイレ

  • イランでの食事 白須加奈子

 私がイランに行くにあたって楽しみにしていたことのひとつはイランの食事と食文化はどのようなものであるか実際に見てみることでした。イランに行くまでに何度かイラン人パーティーに参加し、イラン料理を食べてみたことはあったのですが、その料理はほんの一部で他の料理はどのようなものか、地域によって異なるのかといったことにとても興味をもっていました。いざ行ってみると予想以上に美味しくて、毎日ご飯を食べすぎてしまいました。この体験記では印象に残った料理について書き、レストランでの食事、イラン人の方の家にお邪魔する機会があったのでそこでの食事について書いていきたいと思います。

 まず、エスファハンの料理であるビニヤニについてです。この料理は何の中に日本のハンバーグのような形をしたひき肉とナッツが入っています。名前はペルシア語で「焼く」を意味するベルヤーンからきているそうです。イマーム広場にあるレストランで食べました。ひき肉はとても大きくナンは柔らかく、しばらくたって肉汁を吸ったものも絶品でした。

 次にザクロについてです。イランの果物はどれも美味しく、新鮮でした。その中でも私が気に入ったのはザクロです。イランではザクロはジュースにしたり、アイスにしたりします。見た目も鮮やかで酸味と甘みがあり、とても美味しいです。特にザクロの実と皮が入ったジュースは今でも忘れられません。またイランを訪れたら食べたいと思います。

 最後にイランのレストラン、家庭での食事についてです。イランのレストランはどこも店員さんが優しく、気軽に話しかけてくれておすすめの料理を丁寧に説明してくれました。時には一緒に写真をとってと頼まれたりもしました。日本ではあまりないことだと思います。必ずと言っていいほどおかずを頼むとナンがついてくるのでとてもおなかがいっぱいになります。ある日には、エスファハンにあるイラン人の女性の家に招待され、お邪魔させていただきました。そこで、お昼ごはんと晩ごはんをご馳走してもらいました。お昼ご飯は穀物の入ったスープ、ナン、ピラフ、晩ごはんはイランで獲れた大きな魚を使った料理を振舞ってくれました。どちらも手作りでとても美味しかったです。机ではなく床に敷物を敷いて、ふかふかのペルシア絨毯の上に座って食べました。床に座るので人との距離が近く会話を楽しみながら食べてとても楽しかったです。

 イランの料理はあまり日本人には馴染みのないと思います。しかし、イラン料理はとても美味しく、味付け日本人の好みに合うのではないでしょうか。多くの方に知って、食べてもらいたいと今回の研修で改めて思いました。

↓ビリヤニ      ↓イランのスーパーに

売っていたお寿司

↓イラン人の方の家での食事                 ↓ザクロジュース

  • イラン研修トラブル列伝 中山敦貴

 今回の研修旅行では、みなケガひとつせず、全員無事で日本に帰還することができた。研修旅行をサポートしてくださった先生方、阪野さん、そしてアッラーにお礼を申し上げたい。しかし、振り返ってみると、実にたくさんのトラブルや珍事件があった。本項では、そのうちのごく一部をご紹介したい。

  • ビザ事件…日本を出国する直前(3日前くらいか?)に、ビザの申請を完全に忘れていたことが判明。責任者(筆者)、焦りすぎてトイレで泣く。参加者全員を共研に緊急招集し、バイトや部活をキャンセルさせて申請書類を記入。筆者、全員分の申請書類、パスポート、印紙代を回収して新幹線に飛び乗り、東京のイラン大使館へ直行。窓口のイラン人が親切で有能な方だったので、一日で発給してくれた。まさに「命のビザ」である。
  • スーツケース事件…エスファハン大学到着初日、田中君のスーツケースの鍵が開かなくなり、大騒動に。翌日、別の学生がイマーム広場の絨毯屋で工具を借りてきて、悪戦苦闘の末にこじ開けた。イランに来てそうそう、要らんことに時間を使ってしまった。
  • トイレ幽閉事件…先ほどの田中君が、今度は語学学校のトイレに閉じ込められてしまった事件。詳しくは、彼の記事を参照されたし。
  • 漆黒の猟犬事件…語学学校の授業後、友人2人と近くのソッフェ山(濱元さんの記事で詳説)に向かった。近道をしようと未舗装の荒れ地を横切って行ったところ、動物の骨が落ちているのを発見。しゃぶり尽くされたようにピカピカで、みんなで面白がって眺めていると、うなり声がする。見上げてみると、土佐犬にドーピングを打ったようなムッキムキの猟犬がこちらに牙を剥いていた。遠吠えをして仲間を呼び始めたので、生命の危険を感じて逃走。さっきまで骨の写真をパシャパシャ撮っていた立元は、気付けば既に100メートルほど先を全力疾走していた。無事逃げ切れたが、危うく骨にされるところであった。
  • 密造酒事件…命からがらソッフェ山に到着。山裾の広場へ行くと、チンピラ共がたまっている。東洋人を見つけて興奮したのか、やたらと絡んでくる。水タバコを一緒に吸ったり歌ったりして楽しむ。チンピラの一人に、英語を話せる若ハゲの兄ちゃんがいて、色々と話してくれた(「一晩で二人の女を抱いてやったぜ!」とかしょうもないことばかりだったが)。しばらくすると彼が、汚いペットボトルに入った真緑色の液体をカバンから取り出してきた。どう見ても洗剤だ。実はこれ、彼らお手製の「密造酒」らしい。度数は90%とのこと。もはや怖い。チンピラは回し飲みを始めた。目を合わせないようにしていたが、「お前らも飲め!」と言われてしまったので、恐る恐る一口飲んでみた。洗剤の味がした。
  • 百分の一事件…簡潔にいうと、あるレストランで、50万リヤルのお釣りを5千リヤルにちょろまかされそうになったという話。ごまかすにしても豪快すぎだろ。100分の1しか出さないって。ここで泣き寝入りしたら日本男児の名が廃ると思い、断固抗議すると、しぶしぶ50万リヤル返してくれた。「モタシャケラム」と言ってしまったが、どう考えてもモタシャケラムではない。
  • リアル鬼ごっこ事件…ある日の昼下がり、友人3人でエスファハン市内を散策していると、ギャズ工場を発見。ガラス張りになっていて、外からギャズの製造過程を覗くことができる。白いかっぽう着を着たおっさんたちが、せっせとギャズを作っている。その様子を横目で見ながら、「ギャズはああして作られるんだね」などと呑気なことを言いながら歩いていく。すると、その刹那、背後からけたたましい怒鳴り声と凄まじい足音が聞こえてきた。振り返る間もなく、我々の横を、背の低い少年が猛烈なスピードで駆け抜けていった。前髪が風圧で揺れる。「何事か」と思う間もなく、今度は大柄な中年男性が怒声を発しながら全力疾走で登場。白いかっぽう着を着て、頭には衛生用のキャップを被っている。………さっきのギャズ職人だ!!!我々は顔を見合わせた。思えば、さっきの少年は両手に何やら握りしめていた。…ギャズか?ギャズを盗んだのか??…工場から…?!我々3人の脳裏には、同じ疑問が浮かんでいたに違いない。少年よ、なぜ小売店から盗まないのだ。なぜ工場で。できたてが食べたかったのか。何かの罰ゲームか。そして、ギャズ職人のおっさん。どうしてあなたはそんなにガチなんだ。考えれば考えるほど、笑いが止まらなくなった。

少年は、車道に飛び込んだ。無数の車がビュンビュンと飛び交う大通りだ。濁流のような車列の間隙を縫うようにして、少年は向かいの歩道に渡り、逃げ延びた。そのまま、商店街の雑踏に身をうずめ、二度と姿を現すことはなかった。

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         イランの国民的なお菓子、ギャズ→

<最後に>

 今更フォローしても遅いかもしれないが、イランは決して危険な国ではない。確かに色々な事件はあったが、今となっては、どれも笑ってしまうような楽しい思い出だ。今後イラン研修に行く後輩たちには、是非トラブルも楽しんできて欲しい。イランは、無限の可能性に満ち溢れている。

<阪野さんへ>

 エスファハン大学の研修を終えて、阪野さんとお会いしたときは、本当に心強く、安心しました。気付いたのですが、ここで紹介した7つの事件は、すべて語学研修中、またはそれ以前に発生したことです。すなわち、阪野さんと一緒にイラン各地を旅した一週間の間には、ほとんど危険な目には合わなかったということです。これは、ひとえに阪野さんのおかげです。本当に、何から何までお世話になりました。楽しく安全な旅を、ありがとうございました。

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